客「切手代は封書なら82円だよね?」
私「基本的にはそうですが、重さによって、変わってくるので分かりかねます。」
客「〇〇というところに、封書を出すんだけど、茶封筒で受け取ってもらえるだろうか」
私「封筒の種類で、受け取らないということは一般的にないと思いますが。」
客「思うって、はっきりしないなあ。」
私「不確かなことは言えません。あくまで、一般的な話でさせてもらってます。」
過去の職場での、とある客との会話だ。別に、私は郵便局で勤めていたわけでもないし、〇〇という機関で働いていたわけでもない。私はただ全く別件で確認のために電話しただけだった。ところが、冒頭のような私からしたら暇つぶしとしか思えない会話が続き、上げ足をとられないように気をつけながら、不快な思いを感じつつ電話を切った。
「餅は餅屋だ。」ということわざがある。何事においても専門家に任せたほうがよい、素人がやろうとしても専門家にはかなわないという意味だ。郵送料も、封筒を受け取る、受け取らないも他にちゃんと専門家がいるわけである。
プロに聞けば、すぐに終わる話だ。全くの部外者である私に聞いても時間の無駄にしかならない。しかも、少なくとも私は相手のリスペクトを欠いた言葉で気分を害したし、私の時間も奪われた。
このように専門外のことを無理に教えてほしがる人がいる。サービスの一環だと勘違いをして。
私はこういった人たちが時間とお金の無駄遣いをしているとしか思えない。そして、彼らのほとんどがめんどくさがりでわがままだ。はっきり言ってかかわりたくない。相手からしたら、ちょっとしたことだから教えてくれて当然と思うかもしれない。
もちろん、好意で分かる範囲で答えることはある。しかし、専門外のことに口をだし過ぎて、不正確な答えをしたら、非難されるの私なのだ。安易な回答はできない。
プロに聞くと有料な場合があるから、無料で教えてもらえると思って、専門外の私に聞いてくるというケースもあった。しかし、専門外の私に時間をかけて聞いても、得たい答えを得るまで時間もかかれば、明確な回答もなかなかできない。
しかも、結果が上手くいかないと私に怒りの矛先が向いてきたことも何度かあった。私がプロを紹介しているにも関わらずだ。日本社会は無料のものでも、クオリティが高いと感じられるものが多い。
しかし、あくまで無料は無料のクオリティである。期待の結果を得たいなら、きちんと専門家にお金を払って相談すべきなのである。
私の友人が家を建てるときに、地上げも一緒にしようという話になった。家の建築をお願いしていた工務店Aがメインではないが地上げもできるということなので、一緒にお願いしようという話になり、見積もりを頼んだ。しかし、金額が予想よりはるかに高かった。
セカンドオピニオンということで、土地の造成をメインとしている会社Bに見積もりを頼んだ。結果は、お察しの通り、Bのほうが格段に安かった。当然、めんどくさいから工務店Aに全て頼むという選択もありだとは思う。しかし、お金には限度がある。まして、家の建築、土地の造成となると大金が動く。限りあるものを有効に使いたいというのが人の心理だ。結果、地上げはBに頼むことになった。
やはり、「餅は餅屋」なのだ。その道の専門家に頼むべきなのである。専門外の人に無理に頼んでも、良い結果は得られない。それなのに、単にその場にたまたま居合わせた人に無理やり正解を聞きたがるのは、単なる横暴である。
もちろん、信頼できる専門家を探すには労力がかかるのは、百も承知だ。しかし、今はネット時代である。検索すれば、昔ほどの手間暇はかからない。また信頼できる人から紹介してもらう方法だってある。
もしあなたがテキトーな人からのテキトーな情報で人生の判断をしているなら、テキトーな人生を歩み続けることになるのは明白だ。お金と時間を無駄にしたくないなら、ちょっと考えてみてほしい。
今日はそんな感じで、Ciao!!
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