「顔がブスやから性格がゆがむのか、性格がブスやから顔がゆがむのか。どっちが先なんやろう。。。
ニワトリと卵、どっちが先? 的な。」
先日、こんな質問を友人からもらった。Facebookのコメント欄で簡単に答えてみたのだが、私の考えをまとめてみたい。
Contents
他者に罵られて
まず、人はなぜ自分のことを「ブス」だと認識するのだろう。1つは他人から「ブス」と罵られて、そう思ってしまうことがあげられる。ただし、この場合、罵られた女性の客観的な容姿、外見は関係ない。なぜなら、罵る人にとって、嫌いな人はみんなブスだ。あなたにも身に覚えがあるではないだろうか。
他者との比較
もう1つは他者との比較だ。まず、人は社会的に美人とはどんな人かを認識する。今の世の中だと、モデルや女優やアイドルがその指標になる。ただし、この指標は、憧れだ。こうなれたらいいのになというものだ。
だから、まず指標をもとに周囲で美人、かわいいと言われている人たちと自分を比較する。そこで、自分が美人なのかブスなのかを認識していく。
ブスか否か
ここで、問いに戻ろう。人は赤ちゃんやちびっこのときから、自分のことをブスだとは思っていない。例外はもちろんあるけれど、「かわいい、かわいい。」と言われて、しばらくは育てられるからだ。
しかし、思春期を迎えるくらいに人は必ず自分の外見がブスかどうかを認識することになる。なぜなら、男が客観的に「かわいい女」をチヤホヤし、客観的にブスや自分が嫌いな女をひとくくりにブスと罵るからである。
ブスにも2通りの人間がいる
ここで、道は2つに別れる。自分がブスと認識したときにポジティブをキープできるか、ネガティブになってしまうかだ。ブスと罵られて、ポジティブをキープできる人はいないと思うかもしれない。
ここでのポジティブの意味は、上手にスルーできる人のことをさす。なぜスルーできるのかといえば、親や友達を含めた周囲の人から、愛情や応援を受けているからだ。こういった人は、客観的にみれば外見はブスかもしれない。けれど、周囲からポジティブのエネルギーを受けているから、性格はゆがまない。
逆にネガティブになってしまう人は、他からの愛情や応援をあまりもらっていない人だ。だから、当然、もともとの自己肯定感が低い。だから、ブスと罵られるとネガティブのスパイラルに陥っていく。だから、性格もゆがんでいく。
性格が悪い=外的要因も大きい
性格は生まれ持った素質だから、性格が悪いからブスになるということもあり得るのでは?と思うかもしれない。確かに性格は持って生まれたものもあると思う。いわば、種だ。しかし、種が芽をだし、花を咲かせ、実をつけるためには、外的要因も大きい。
すなわち、どんな性格になるかは生まれ持った素質もそうだけれど、環境による要因も大きいと私は思っている。だから、性格も悪い、外見もブスはもちろん、客観的に美人であっても、性格がゆがんでいる人が出現するのである。
見た目が100%
私は、男も女も外見で100%判断できると思っている。これは、オシャレかどうかとか、イケメン、美人かどうかというものではない。内面は外見ににじみでる、性格は外見に現れると思っているからだ。
その証拠に、人は客観的に容姿がブスだが、性格のいい人のことをブスとは言わない。愛嬌のある人と言う。それは、内面が外見をブスと呼ばせない力を持っているからだと思う。逆に、性格は悪いが美人のことを、人相に性格が出ているから、なんとなく敬遠してしまう。
美人は3日で飽きる
でも、男は、性格が悪かろうが、美人が好きなのでは?と思う女性もいるだろう。これも事実である。男はどんだけ口では中身が大事だと言っていても、美人が大好きだ。
けれど、男もいろんな女性とつきあううちに学習していく。そう、外見なんて、結局、すぐに飽きてしまうのである。また、美人とブスをどうわけるのかは、個人の主観によるところも大きい。だから、ブスだけど性格の良い人、愛嬌のある人も異性として視野に入ってくるのである。
「いいんだよ。」
最後に、自己肯定感が低いと性格がゆがむ、ブスになりやすいと書いた。では、どうやったら、自己肯定感が上がるのかということだ。答えは、「いいんだよ。」という一言につきると思う。「できてなくてもいいんだよ。」、「ブスでもいいんだよ。」という感じで、自分のネガティブなところを認めてあげることだ。
私もときどきそうだけれど、自己肯定感が低いとわざわざ物事のネガティブな側面にフォーカスしてしまう。それを、「〇〇でもいいんだよ。」という言葉で、肯定してあげよう。すると、すこしずつ楽になっていくはずだ。もし、興味があれば、やってみてほしい。
今日はそんな感じで、Ciao!!
よかったら、こちらもどうぞ。