私は学んだ。最初は何の関係もなかった人たちが、こいつはいじめてもいいと思うと、徒党組んでいじめてくるんだということを。さらに言えば、こいつは俺より格下しただと思うと、何を言ってもいいと勘違いするんだということを。
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私の経験
私は中学時代に、ある同級生とトラブルになってクラス中からシカトされた。最初は、その同級生だけだった。それが相手の同級生のグループに広がり、そのうち、クラス全体に広がった。悪口も散々、言われたし、嫌がらせもうけた。
結局、半年ほどクラス全体でのシカトは続いた。そのうち、私をシカトするのは飽きたのか、クラスのメンバーはいつの間にか私に話しかけてくるようになった。
それでも、シカト自体は終わったが、あるクラスメイトが、「みんなからシカトされているときでも、俺は口を聞いてやったんだぞ。」と恩着せがましく言ってきた。私は、黙って聞いていた。当然、それ以降、彼とは会話することはなかった。
社会人になって、私は太り気味だったため、友人たちと4人でスポーツをはじめた。友人が友人を呼んで、人数が増えていき、あるときには20人くらいのサークルなっていた。人数が多いと人間関係のトラブルも、もちろん起こる。
いくつかのトラブルが起こり、サークルがつまらなくなったメンバーたちは、それまで一緒に楽しんでいたのが嘘のように簡単に去っていた。つまらなくなったから、参加しない。まあ、当たり前のことかもしれない。ただ、主催者の一人である私からすればショックだった。
人を引き寄せるもの
私はこのことから、また一つ学んだ。楽しいニオイは人を引き寄せるけれど、少しでもつまらなくなると、次の楽しいところを探して、いとも簡単に去っていく人たちもいるということを。
めんどくさい人の共通項
この2つの例に出てくる人たちには共通項がある。日和見主義だということだ。簡単に言えば、形勢を見て有利なほうに参加する。歴史で言えば、関ヶ原の戦いで、西軍を裏切って、東軍に参加した小早川秀秋のようなものだ。
最初の例の規模が大きくなると、ネット上だと炎上となる。またテレビや新聞などの大手のマスコミが糾弾しはじめると、すぐに社会問題になる。やっかいなことに結構な人数が集団で、攻撃するので、攻撃されたほうはたまったもんじゃない。
後者の例が社会規模になるとブームと呼ばれる。最近だとパンケーキがその一つになるだろう。都内のパンケーキの店はどこも行列ができているようだ。けれど、ブームはいつもあっという間に過ぎ去る。数年も経てば、淘汰されて、本当に美味しい店しか生き残っていないだろう。
そう、結局、日和見主義の人たちは、風のようなものだ。ときには暴風となって、相手を徹底的に攻撃する。また追い風となると一気に持ち上げてくれるので、世の中に出るきっかけになる。しかし、風がやんだとき、本当の実力なければ、奈落の底に突き落とされる。いつどう風向きが変わるかはそのときしだいだ。
私は、この日和見主義の人たちと決して深く付き合う気はない。いつ手のひらを返されるかどうかわからないからだ。正直、彼らにはぞっとする。過去の体験からもそうだし、今の世の中を見渡してもそうだ。
今現在のサッカー日本代表の結果が良くないので、批判する人が増えてきているのも、その例の一つだと言えるだろう。理由はもちろん叩きやすいし、注目も浴びやすいからだ。もし、あなたの親しい人が日和見主義な人だったら、どうだろう。
つきあう人で人生は変わる
ネット上で、知らない相手に向かって、罵倒するような人と付き合いたいだろうか。自分の調子の良いときは、親しくしてくれるけれど、都合の悪くなったら、あっという間に離れていく人と付き合いたいだろうか。
どんな人と付き合っていくかであなたの人生は変わる。付き合ってはならない人と付き合っていては、あなたも必ず泥沼に引きずり込まれてしまう。誰と親しく付き合うか。そこは、あなたのたった一度きりの人生だ。あなた自身で決めなければならない。